古皮質の夢

一羽の鳥が人の魂のようにゆっくりと天へ昇り、それからすいこまれるように山へ還っていきました。山からにじみだして流れてくる川の流れのすぐ側に、一本の大きな白い木がたっていて、その一枚一枚の葉は真夏のつよい光をうけて、まるで銀の鈴のように、光を照り返していました。

(木の神が泣いている)
(木の神が悲しんでいる)

と風の神が歌いながら木の神のところへやってきます。そして、

昔貧しくて心豊かだった人間たちが、豊かになると昔を忘れ、木の神を敬わなくなった。ほんの先頃までは土から切り離しても、木を人のように慕い、木肌に白粉をぬったり、木を先祖様のように敬い手をあわせ、決して忘れぬように祈っていたのに、いまはなにもかもを忘れてしまっている、といいました。

すると木の神は、

そうだ。はじめて私に斧をふるったときから人間は変わった。急に忘れっぽくなり、人間どうしで争い、長く生きることばかりに頭を使うようになった。人間たちはそのことに気づかない。むかし、このあたりを「人間の静かな大地」とよんでわれわれと交響して暮らしていたものが、いま平気で木々を倒し、水を腐らせている。土地にはその土地の神々がいることを海の向こうからきたものの言いなりになるうちに忘れて、古い習わしをやめてしまった。それから何もかもが変わった。人間の二人三人の命の長さの話ではない。いま人間たちのなかで発芽しているとりかえしのつかない刹那的な感情が、それを忘れた瞬間に受胎したのを誰もしろうとしない、とゆっくりと語りました。

 

あるよく晴れた夏の日のことでした。
ひろい草原をながれる川に沿って、一人の少年が鼻歌をうたいながら、白い猫といっしょに散歩していました。
「すばらしいなあ、こんな眺めの澄んだところに生まれてぼくは幸せだ。あの大きな木も喜んでいる。ようやく雨が降ってよかった、なあミイ、雨あがりの晴れた午後には、ぼくらはこうして歩いているだけで幸せになれるね」
その少年は猫の言葉はもちろんのこと、神々の言葉を聞くことができたのです。

(めずらしい子だ、シャマンの末裔だ)

と雑草たちはささやきあいました。しかし木の神は人間たちへの仕返しにこの子を森へ閉じ込めてしまおうと考え、風の神が銀の風をつかって少年を森へ誘いました。

少年は誘われるままにひんやりとした巨大な森に一歩はいると、立ち止まってまわりを見回しました。
「こんなところは初めてだ。なんて深い森だろう。なんてすべてが元のままに輝いているのだろう」
木々の枝葉がのびていく力を、少年はそのまま自分の喜びのように感じて心が躍りました。

少年の眼の奥には人間が失った、いくつかの尊い輝きが残っていました。風の神は少年の透明な両の目に、神々だけがしっている、人間がただ日々を過ごし、他の生き物と同じように暮らしていた頃の風景がうつっている気がしました。

(そんなに気にいったならずっとここにいればいい)

天から降ってくる声に少年は答えました。
「ほんとうにいれるのなら、ずっとここにいたいさ。団栗や木苺をかじりながら毎日、学校へもいかずに、大人たちにも誰にも会わずに、ここでミイといろいろな夢をみながら暮らせたら、そっちのほうがどんなに素晴らしいだろう」
ニアニアと白い猫が少年のあしもとにすりよって尾をびくびくふりました。黒い髪の少年は白い猫の頭を撫でて、それから赤らんでいる自分の頬をそっとさわりました。

(そうしたら村の大人たちが悲しんで、あなたを取り返しにくるだろう)

「そんなことないや。大人たちはぼくのことよりお金が好きなんだよ。みんなは、この森を全部切り倒そうとしているんだ。そんな恐ろしいことを平気でするんだ。それよりもお金が大切だと思ってるんだよ。このままでは、あなたたちもひとり残らず殺されてしまうよ」
風の神は一万年前に見たことのある、とてもよい死にかたをした一人の若い狩人に、少年の目が非常に似ているのに気づきました。きっと狩人は死んで鳥になることができ、天に昇り山で浄められて尊いものの息吹きによって人間の世界に戻ってきたのだと風の神は感じました。その背の高い、身体のたくましい狩人はとても清い死にかたをしたので、風の神は忘れられずに記憶のずっと奥底で覚えていたのでした。

(わたしたちは人間の目にうつらなくなっても死ぬわけではない。
 星々の命の時間がたって、人間がいなくなったら、
 わたしがどこからかまたいのちの種を運び、成長の神がそれを森に変えてくれるでしょう)

それを聞いた少年はほっとしたように微笑して、
「でももう誰もその光景を見ることができないんだね。シルル記の羊歯やら、ジュラ記の鳳尾蕉がのびのびと繁って街が森へ変わっていくのを、誰も見ることができないんだね」
うれしそうに、そしてどこか悲しそうな面もちでそのまま黙り込んでしまいました。

風の神はたちまち冷たくなって歌を奏でながら森から去っていきました。

(そうだ、もう誰もそれを見ることはできない)
(そうだ、もう誰もかも忘れてしまったのだから)

猫が大きな白い木にすりよって、頬を上下にすりよせ、尾をびくびくふり、ニアと叫びました。なき声があたりに響き、川沿いを斧をもった男達が歩いてやって来ます。大きな白い木の、葉の一枚一枚が銀の鈴のように、ぎらぎらと光り、わずかな風がよせるたびに川面の光のようにさらさらさらと揺れています。

(木の神が泣いている)
(木の神が悲しんでいる)

と何万年も人間を眺めてきた風の神が歌いました。
少年は遠く離れたところからその白い木を見守って、自分がもうすぐ斧でうち壊されてしまう、と怯えるように目をぱちぱちさせて膝を抱えてました。

談笑を終えた男が立ち上がって斧を高くふりあげ、力いっぱいその木にうちつけると、カツンという高い音とともに、やわらかい猫の毛が逆立つほどの強風があたりをつつみました。

そして強い光をうけた幾千もの銀の鈴がいっせいにふり乱れて、ちらちらちらと響きわたりながら西方へとんでいき、一羽の鳥がその光のなかから飛びたつと、山の方角へすいこまれるように昇り去っていきました。